明月記
2013-12-20T15:21:06+09:00
kentarobaba68
直裁的な道
Excite Blog
CARP DIEM
http://kentarob.exblog.jp/21473291/
2013-12-20T15:20:00+09:00
2013-12-20T15:21:06+09:00
2013-12-20T15:20:17+09:00
kentarobaba68
未分類
「今という時を大切に使え」と言う古代ローマの詩の中の語句らしい。私の個展
「無想」に来てくれたイタリア人の友人が送ってくれた言葉である。
2013年11月2日より鎌倉山の鎌倉画廊にて、はじまった私の個展「無想」も
残すところ、あと3日となりました。
初春から本格的にはじめたこの個展の為の制作も、思い起こすと夏の猛暑での
アトリエの日々が遠い昔の事の様です。期間中、遠くから足を運んで来てくれた方々。
本当にありがとうございます。 12月22日(日)18時まで開催しております。
私は、21日(土)22日(日)在廊予定です。
年末の慌ただしい時期、足を運んで頂ければ幸いです。
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イタリアバロックと現代美術
http://kentarob.exblog.jp/21174345/
2013-10-09T12:09:00+09:00
2013-10-09T12:22:56+09:00
2013-10-09T12:09:35+09:00
kentarobaba68
未分類
イタリアバロックの世界 阿部早季子ソプラノリサイタル
に出かける。17世紀から18世紀のイタリア音楽は大変
奥が深い。ミラノでお世話になった阿部早季子さんの歌声と
バロックハープ、チェンバロ、バロックチェロ、リコーダー
古学の世界は優雅で、華々しく変容する19世紀以降の世界
漂わせる。
ミラノの薄汚れた石作りのバルコニーが思い出された。
10月8日 茅場町 森岡書店 坂木優子 個展
GIFT FROM THE SEA 近所の海岸で採取したであろう貝殻
やサンゴなどを丁寧に描いている。背景の黒が、マットで
興味深い。
タカイシイギャラリー ルーク・ファウラー&角田俊也
"LEADER AS GUTTER" 12日(土)まで
音は空気の振動である。その事は、教会内での阿部さんの歌声に
うっとりしながら十分に感じる事が出来た。角田さんの世界は
そこに存在する光と時間を連動させる。16mmフィルムの映像を
積み上げたアクリル板に横から投影する事で光を反射拡散させ
時間と空間そして記憶の世界をこちら側に投げ掛ける。個人的な
体験を人の共通認識まで高める装置ともいえる。不思議な体験で
ある。そしてバッロク音楽とも、なぜか似ていると感じた。
渋谷 ギャラリエ・アンドウ 内海聖志展 星の話
絵画を考える。考え抜く。その絵画の排他的で専制的な部分を
多角的な方向へ導こうと提示する。その果敢な挑戦は今後も
続くだろう。日本の美術環境の中からもペインターはしっかり
生まれてくるんだと実感した。
夏に頂いて、食べた枇杷があまりにも美味しかったので、洗って
土に埋めておいた、そこから芽が出てきた。あの美味しい枇杷が
実るのはいつになるだろうか?
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儚い永続性
http://kentarob.exblog.jp/20901092/
2013-08-03T12:57:00+09:00
2013-08-07T17:53:09+09:00
2013-08-07T13:26:04+09:00
kentarobaba68
未分類
特にギャラリーや美術館で見るアートと呼ばれるモノを
見る時には、「アート」だと予め決め込んでみているのだ。僕らは
「アート」という名の免罪符をつかいすぎているのかもしれない。
たまに、そういう思い込みを裏切られる出会いほど嬉しいモノはない。
ミズマアートギャラリーでの宮永愛子展「house」の最終日。
ナフタリンで作られた日用品がライトアップして展示されて
いた。椅子やハイヒールが遠い世界の全く別な「何か」に感じられる。
不思議な感覚だった。視覚を通して皮膚で感じる作品だと思った。
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美しい絵はだをもとめて
http://kentarob.exblog.jp/20809621/
2013-07-17T14:45:00+09:00
2013-07-17T15:05:11+09:00
2013-07-17T14:45:17+09:00
kentarobaba68
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松田正平展 生誕100年 陽だまりの色とかたち
1913年島根県鹿足郡青原村(現・津和野町)の町に生まれ、山口県宇部市の
松田家の養子となる。東京美術学校卒業後、24歳。戦前の1937年パリに渡り
明くる年、コローの「真珠の女」を模写している。
佐伯祐三がフランスで他界した10年後の事である。同じ藤島武二に師事し、
15歳年下の松田は、佐伯祐三の存在を知らなかったはずはないだろう。
二人の画家の研究姿勢、視点は異なっている様に感じられるものの
残された言葉の共通項も幾つか見いだされる。例えば「この絵は、日本の部屋
には大きすぎる」と言った日欧の居住環境の違いに言及しているあたりは
自作を最初から日本に持ち帰るつもりで描いていたのかもしれない。あるいは
常に日本での生活を思い描きながら、異国での制作は「学び」の姿勢であった
のだろうか?
松田は、パリ時代コローの奥深い色彩に惹かれ重厚な色彩の模写を行い。そして
ベルナール・ビュッフェの鋭敏な線描と明快な色彩が、その後の表現に大きく
影響を与えた。そしてもっとも注目すべき絵はだは、フレスコ画の様な肌あいを
求め、油絵の具の重ねた画面をカミソリの歯で削り、また重ねるといったかなり
大胆な手法を取っている。繰り返し同じモチーフを描き、戦中、戦後の厳しい
時代から高度経済成長期。その後の日本を飄々と風の吹くままに生きた松田正平
という画家は、2004年 91歳で他界するまで飽くなき自己の好奇心に素直に
向かった。
現在、私の様なモノがこの画家の描く日常の中の「美」を見つめる優しさに
共感するのは、時代に流されず、描くと言う行為に常に新鮮な気持ちで取り
組んだ姿勢が与えてくれる「勇気」なのかもしれない。
2013年 9月1日(日)まで
素晴らしい絵に出会った翌日、私はオートバイで三浦半島を一周し神奈川県立
近代美術館葉山館にて 戦争/美術1940ー1950 モダニズムの連鎖と変容 展
を堪能、城ヶ島公園にて海を眺めながら、おむすびなどを頂く。むくむくとまた
「何か」が沸き上がってきた。アトリエに戻る。
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ユニコーン
http://kentarob.exblog.jp/20548047/
2013-05-22T11:45:00+09:00
2013-05-25T13:13:30+09:00
2013-05-25T12:44:46+09:00
kentarobaba68
未分類
特にこの日は女性が多かった。
「我が唯一つの望み」
6点からなるこのタピスリー(仏)タペストリー(英)と言う表記もある。
まず、これらを見て私はすぐにボッティチェッリの「春」や「ヴィーナスの誕生
を思い出した。確かに同時代だ。フィレンチェで起こったルネッサンスは
フランスにも多くの影響を与え、嫁いだ王妃の持ち込んだナイフとフォーク。
数多くの料理人がフランス料理の原型にもなった。つまりそれ以前は、手か
スプーンの様なモノで食事をしていたのだろう。それだけイタリア・フィレンチェ
は最先端の栄華を誇っていたと推測される。
美術評論家の早見氏によれば1400年頃の「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」
の影響もあるとの事。
なるほど。見れば見るほどこのゴブラン織に惹き込まれる。私は10年程前に
ニューヨークメトロポリタン美術館別館(クロイスターズ)で見た。
捕われる一角獣を見て以来一角獣に関しては、少し可哀想なイメージを持っていた
しかしこの一角獣は穏やかに貴婦人を見つめている。その貴婦人は
小箱から宝石を出そうとしているのか?またしまおうとしているのか?
謎である。6点の内5点は「味覚」「聴覚」「視覚」「嗅覚」「触覚」と
言うタイトルでこれは理解できる。しかし「我が唯一つの望み」は不思議な
絵である。これらは当時の権力者ジャン・ル・ヴィストが自身の結婚祝いの
為に作らせたと言われ、トルコの国旗にも似た三つの三日月の紋章が描かれて
いる。
私の浅知恵でも結婚の為の絵柄にしては、あまりめでたく訳で、仮に女性が
首飾りを永遠に仕舞おうをしているのであれば、複雑な心境を描いた事になる。
そしてタイトルが「我が唯一つの望み」と言う。一体なにが望みだったのだろうか?
と思いを巡らせるのもこのタピスリー鑑賞の面白い所かもしれない。
全く関係ないが、4年程前に母親とイタリアを旅しフィレンチェで突然ゴブラン織が
欲しいなどと言い出した。しかたなく朝市でしかも値切って買ったフィレンチェの
街並を描いたその織物は、実家の壁の穴を隠す為に飾られている。
7月15日まで 国立新美術館
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ラファエロ・サンツィオ
http://kentarob.exblog.jp/20544500/
2013-05-21T19:05:00+09:00
2013-05-24T19:23:23+09:00
2013-05-24T19:19:38+09:00
kentarobaba68
未分類
「大公の聖母」の背景はおそらく100年後くらいに黒に塗られた
であろうと言われている。その無名レタッチャー(修復家)も相当な腕の
持ち主だったであろうと思う。特にマリアの左手の表現がもの凄い。
画面全体の雰囲気も含め、惹き込まれると言うより見れた事に感謝の気持ち
すら湧いた。一点一点の見せ方が見事でイタリアで見るより確実に
見やすい。まさか日本で見られるとは。
その後、池袋に移動しパリから帰国したばかり吉村芳生さんの帰国報告会を
聞く。多作であること。現代生を表現する事。独自なモノを探る事。還暦前後
であろう画家のエネルギーに少し酔った。]]>
山口晃と東南アジアの現代美術
http://kentarob.exblog.jp/20544564/
2013-05-19T19:24:00+09:00
2013-05-24T19:36:14+09:00
2013-05-24T19:36:14+09:00
kentarobaba68
未分類
讃美小舎 上田コレクションを見る。私と同世代
や若手をコレクションして来た方の展示はとても
興味深く見る事ができた。アーティスト。画家。
彫刻家を「支える」「楽しむ」と言う方が日本に居る
事にありがたいと思った。
そごう美術館 山口晃展 言わずとしれた現代美術界
のスターでもある。たとえば同じ内容の言葉でも
人によって伝わり方が大きく異なる。山口氏の表現は
見る側、受け取る側を笑顔にする力がある様に思う。
それが、たとえばDVや育児放棄と言った社会問題を
扱う表現でもやさしく、静かに耳元で問題提起されて
いる様に感じた。それが表現者の能力というものかも
しれない。
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マリオジャコメッリ
http://kentarob.exblog.jp/20544445/
2013-05-12T18:45:00+09:00
2013-05-24T19:04:50+09:00
2013-05-24T19:04:50+09:00
kentarobaba68
未分類
強烈な白と黒の世界。覆い焼き。多重焼き。長い時間をかけたであろう
暗室作業には、写真家の言葉が紡ぎ出されていた。偶発的に起こる事すら
コントロールしようと試みたであろうジャコメッリの「生」と「死」に
真摯に向かい合った姿勢が人生が垣間見れた。ミラノの老人ホームを
思い出した。]]>
エルグレコとミラノの画家
http://kentarob.exblog.jp/19982748/
2013-03-17T14:43:00+09:00
2013-03-22T15:30:06+09:00
2013-03-22T15:22:43+09:00
kentarobaba68
未分類
ミラノ在住の画家 清水哲郎さんとエルグレコを
見に行く。日曜日だが比較的空いていた。
無原罪のお宿り
最初にこの時代、16世紀のルネサンス期の画家と
しては、独特な絵の具のタッチに驚かされる。
印象派の出現より、およそ250年も前であり
絵の具は当然チューブに入ってなかった訳で、技法
材料もグレコは相当研究していたに違いない。荒々しい
タッチは、鮮やかなマリアや大天使の衣装の色彩を
さらに共鳴させ。鉛白を用いたであろうハイライト
部分もハレーションを起こしていないのは、下地が
効果的に作用しているのだろう。ただの球や赤子の
顔に羽で描かれた。天使の位、最上級の織天使、
智天使も凄い表現だと感じた。圧倒された。
ヨーロッパでは、鉱物系のカドミウム等を含有する
油絵の具が完全撤廃になりカドミウムイエロー
カドミウムレッドなどは、今後手に入らないそうだ。
作品の発色が随分違ってくるだろう。もはや重厚な
油絵の具の色彩を現代作家は表現できなくなるのか?
いや、新しい技術のもとさらに魅力的な作品が生まれる
のだろう。などと移動中もずっとこの様な話が出来た
事に喜びを感じる日曜日だった。]]>
不確かなモノ
http://kentarob.exblog.jp/19951422/
2013-03-16T13:17:00+09:00
2013-03-16T13:23:35+09:00
2013-03-16T13:17:12+09:00
kentarobaba68
未分類
なんとか形になった様な気もする。
横浜美術館 ロバート・キャパ/ゲルダ・タロー
二人の写真家 時代と共に新たな解釈が生まれ
かつての真実は何処まで信じられるのか考えさせられた。
写真の真実性は、もはや崩壊しているとの前提で
見つめると不確かなモノの中の本質が浮かび上がるのでは
無いかと思った。
資生堂ギャラリー 川村麻純展 母と娘 姉妹の
関係性をテーマにしたビデオアート作品。私は男だが
一鑑賞者として、自己の記憶の中の親子像が、かなり
明快に蘇る。頭の中にこれほど入ってくる作品に
久しぶりに出会った。
3月14日 VOCA展 2013 シンポジウム
上野の森美術館 時間の許す限り、毎年見るのを
楽しみにしている若手作家登竜門の展覧会。
過去20年を振り返る試みもあり、十分堪能させて
貰う。何年か振りに出会う同世代の作家の活躍にも
大いに触発されたと同時に自分の仕事との輪郭線が
はっきり見えて来ると所が良い。上野の春は
大いに盛り上がっている様に感じた。
私の絵の具や石膏が徐々に固まっていく過程に
事実があって、そういった事を一つ一つ
確かめながら、手探りでやっていく。
そんな繰り返しにささやかな使命感みたいなが
あっても良いのです。
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自分の役割。
http://kentarob.exblog.jp/19932494/
2013-03-12T17:28:39+09:00
2013-03-12T17:28:32+09:00
2013-03-12T17:28:32+09:00
kentarobaba68
未分類
大震災以降、ただ絵の具を塗りたくって自己満足の
世界に陥っているのではないかと無力さを痛感した
日も多い。若い学生たちの未来や絵を描く事が本当に
好きな一般の方々に触れて、逆にエネルギーを貰った
りもした。
絵の具を使って、あれこれ考える事が自分の役割
だとやっぱり思う。何かが現れるまで仕事をしてみる。
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絵を描く人たちの事。
http://kentarob.exblog.jp/19772290/
2013-02-10T17:57:00+09:00
2013-02-11T13:26:34+09:00
2013-02-10T17:57:28+09:00
kentarobaba68
未分類
生徒数は少ない。さらに決して恵まれている環境とは
言えない中で、黙々とそして淡々と画面と格闘している。
まだ画面の大きさになれていないのは、直に慣れるだろう。
ただ、目の前の自分の見たい風景に出会う為に費やす時間と
エネルギー。油絵の具の古典技法も実習で積み重ねて来たで
あろう彼らの未知なる力と潜在的な魅力に大いに触発される。
作業の積み重ねや作品に向かうまでの準備や心構えの話中心。
卒業制作を終えた学生が、アトリエに戻ってきて残り僅かな
時間も学校で作業をしようとしている姿勢。その生徒の場所
には「妥協しない」という走り書きのメモ。実直で心地良い。
学生たちの話を親身に聞く先輩講師。20年前の自分を思い出す。
見た目の変化(白髪など)の話などで何故か和む。
今、日本の美術教育が問われている。美術教育で世界のトップアーティスト
は育つのか?というシンポジウムが行われていたり、アーティストと呼ばれる人が
正規の美術教育以外のところからどんどん出て来ている。少子化による学校自体の
真価が問われている中で、さらに「好きな事をさせてやりたい」と言う
親御さんたちの状況も大変厳しいという社会状況の変化に、一流美大の
指導者たちが危機感を持って対応している。と同時にワークショップ連続講座の
様な現場主義のアーティストたちが、クリエーターや美術家を目指す若者に刺激を
与えている現状。それ自体は、魅力的なアクションだと感じるが、僕は60歳を
すぎてもロックミュージックを演奏し続けるオヤジとそれを楽しむおばさんに
「アート」を感じたりもする。詩吟ではなく「ロック」というところが
ポイントでもある。つまり一過性の動きでは、イカすオヤジにはなれないと
いう事でもある。
「抗い」続けるという事は、とても難しい。ただ単に政治や権力に対し反抗的な
態度で接したり、不平不満を言う事ではなく「自己を見つめ直す」というあまり
やりたくない行為がともなうからだ。できれば自分の事は嘘でも正当化したいし
棚にあげて、やり過ごしたいと気持ちが働くからだろう。若い実直な学生の
アトリエの隅に書かれていた「妥協しない」という当たり前の言葉に
逆に大切な事を教わった気がした。
夕方。表参道画廊+MUSEE F FACE THE FAR EAST
銀座「井上画廊」それぞれの「ゼロ」展
小林企画画廊室 赤塚祐二展
僕が学生時代から憧れていた画家で、今も尚、作品展開に挑戦している希有な
作家だと思っている。たまたまご本人もいたので、随分長い事話をさせて貰った。
油絵の具の話。ドローイングの話。なかなか完成しなくて何年もかかって出来た
小さな作品の話。失礼な話だが、年齢を超えて赤塚さんと話していると絵描き少年
同士が遊びの約束をしている気持ちになる。そんな時、僕は、今とても貧困だが
絵描きと言う道を選んで良かったと思えるのです。]]>
たまには美術館や博物館に行く。
http://kentarob.exblog.jp/19757851/
2013-02-07T21:45:00+09:00
2013-02-07T22:03:03+09:00
2013-02-07T21:44:51+09:00
kentarobaba68
未分類
ガスミュージアムに
行く。’91年式スポーツスターも私同様冬場は暖気に、時間がかかる。
そう言う我がままで、少しくたびれた感じも気に入っているのだが。
東京ガスの博物館内は、想像していたよりも、レンガ作りの立派な
建物で、ガス灯の実演などもやってくれた。近代の象徴であるガス灯を
眺めていると、パリのガス灯や文明開化時期のほのかな灯りにタイムトリップ
出来て、ゆったりしたとても安らか気持ちになった。しかし当時は怒濤の時代
変化でとてもせわしかっただろうと想像される。色んな展示物を他の客が全く
いない中でのんびり見た。
なかでも、自分も思い出深いガス炊飯器の昭和ムード満載の下三分の一が
水色で上が白。プラスチック部分はすべて黒と言うシンプルな配色が
とても美しいと感じた。技術的に進歩してもこういう感覚は必要だと
思った。駐車場完備。入場無料です。
1月30日水曜日
国立新美術館 DOMANI 明日展 文化庁在外研修を終え活躍している作家
たちの展覧会。今まで何度かこの企画は見て来たが、キュレーションが
素晴らしいのか?作家のレベルがもの凄く向上しているのか?見応え充分
の企画展だった。なかでも橋爪 彩さんの油彩の技法スキルと現代的な対象を
見つめる視点は、絵画作品の中でも際立っていた様に思う。塩田千春さん
のインスタレーションは、空間の使い方といい、内容と表現方法の魅力と
いい、まさに現代美術の醍醐味を感じさせてくれた。
同じく。ARTIST FILE 2013 韓国のジョン・ヨンドゥ 東亭順 の作品に
見入った。世界で活躍するアーティストの「今」を見る事が出来る良い機会
だった様に思う。絵画・彫刻は、技術的に超細密描写を極め、部分と全体を
同時に見入る形態や写真性を貫き肉眼の眼差しを研究している作家が多い様に
感じた。
2月2日土曜日
府中市美術館 OVER THE RAINBOW 伊庭靖子さんの絵画。三田村光土里さん
のインスタレーションは、秀逸だった。三田村さんのアーティストトークも
なかなか見事な内容だった。彼女の参加型作品の魅力は特に女性ファンの心を
掴む様で、所々に書かれた短い文章も説教じみていない人生訓を頂いたようで
ありがたい気持ちになったのでした。帰りは府中にて三田村さんやギャラリスト
の米山さん、若い美大生らと酒を呑む。有意義な楽しい時間だった。
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発表する意気込み。
http://kentarob.exblog.jp/19694122/
2013-01-28T13:15:00+09:00
2013-01-28T13:16:02+09:00
2013-01-28T13:15:21+09:00
kentarobaba68
未分類
高倉吉規個展 47年続く新人作家の展覧会に
出品した若い友人の高倉君。3月からレバノンでの
海外研修を控え、力のこもった力作ぞろいだった。
激しい色彩のぶつかりとわずかに覗く、下の色層が
強くて日本人ばなれした感性が心地よかった。
同日、鈴木吐志哉展 鯨景ー月 Oギャラリー
こちらも強い意気込みを感じる大胆な構図。重なり
とズレの計算された精度がますます充実して来ている。
友人でもある彼は、多作な作家だと思う。数少ない
ホームランを打つ画家より、コンスタントにヒットを飛ばし
ある時は、三振する。そんな版画家 鈴木吐志哉の仕事は
とても信頼できる。
1月27日日曜日
ワタリウム美術館
坂口恭平 新政府 展
彼は、建築家と名乗っているが、立派なアーティストとしての
生きる意気込みを伝えてくれた様に思う。その情熱で人は動かされ
共感し、感動すら覚える。動けない程の入場者だった。いつも最下層
の人たちを見つめ、気さくで奇抜なアイデアと実行力を持ち、頭脳が
明晰な男。東谷隆司をふと思い出した。タイプは違うが、同じ匂いが
する。この若いアーティストの魅力に惹き込まれた。
私は、私なりに地味にしかし、意思を持ってドローイング描く。
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はじまりは国芳
http://kentarob.exblog.jp/19568200/
2013-01-17T16:49:00+09:00
2013-01-17T20:22:16+09:00
2013-01-17T16:48:45+09:00
kentarobaba68
未分類
雪の残るアトリエに戻って来て最近見た展覧会を想う。
横浜美術館 はじまりは国芳
江戸後期から昭和初期までの歌川国芳 伊藤深水 鏑木清方 川瀬巴水
等を見る。美人画で知られる伊藤深水だが、「泥上船」に惹かれる。
青いトーンで描かれた静かな画面。大胆に
配置された船のフォルム。
働く男たちの声や動き。水面の音まで
聞こえて聞こえて来そうな臨場感
が感じられた。
川瀬巴水の風景画の「木場の夕暮れ」も黄昏の
空と水のグラデーションが見事に刷られており
川岸に立つ作者の真っすぐな眼差しが感じられ
心地よくそして多少物悲しく見入る事ができた。
ここで、電柱と木場ならではの川に浮かぶ
伝統的な木材に注目したい。これは、伝統
つまり古典と電柱に象徴される近代とが画面内で対比として描かれ
夕暮れ時と言う一日の終わりに感じる切なさが、さらに演出効果を
発揮している。時代の狭間に葛藤した画家の心情を描いたモノでは
ないかと考えられる。
2つの作品は縦の構図であり、カメラで言う所の、ほぼ50m標準レンズから
覗いた視点である事が分かる。さらに変わりゆく時の流れを一瞬で掴もうと
する写真性も感じられ、近代化の影響と伝統を継承していこうする画家の
決意の様なモノさえ感じるた。ともに大正期の作品であり近代化の影響で
廃れていく、日本の水性木版画の世界に抗いつつ、新しく写真の視点、
あるいは、西洋から入って来た近代洋画の手法も取り入れ、新たな展開を
模索していたのでないかと推察される。
現在も似た状況は、どの世界にも起こっていると思うが特に日本の現代絵画
の世界も末期的な状況であり、それから突出しようと言う、もがき、あがき
が、繰り返されている様に感じる。しかしこの二人の画家の決して派手さの
ない静かな風景画に私は、大変勇気と希望を貰った。
しかし、私のアトリエ付近は、未だ雪解けは先のようでもある。
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